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皇女和宮(こうじょかずのみや)

 弘化3年(1846)時の帝、第120代仁孝(にんこう)天皇の第八皇女として誕生。

 黒船来航により開国を余儀なくされる幕府に、尊皇攘夷を訴える志士が立ち上がり内戦勃発の危機迫る日本。公武合体のシンボルとして時の将軍、徳川家茂に嫁いだ皇女和宮様。

 数奇な運命に翻弄されつつも、和宮様と家茂公の夫婦仲は良好でした。家茂公が上洛する際に、和宮様は氷川神社に祈祷を明示、自らは徳川家康公の守り本尊であった芝増上寺の黒本尊にお百度を踏んで、道中安全の祈願を行っています。のちに徳川家存続に尽力するなど、和宮様は置かれた環境の中で自らの幸せを見つけ、強くしなやかに生きました。 

 晩年、箱根塔ノ沢にて静養中に薨去。

 当時阿弥陀寺住職だった武藤信了上人により、本葬に先立ち通夜密葬を執り行ったご縁で、皇女和宮様のお位牌をお祀りしております。

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皇女和宮ブロンズ像

 令和4年3月、当山に和宮さまの立像が寄贈されました。

 像の高さは台座を含め1.3m。大垂髪を結った端正かつ非常に穏やかな優しいお顔立ちで、七重の衣をまとい、右手には扇子を持った御姿であります。

  和宮様の容貌を報告した『島田龍章書状』によると「身長は年齢相応にして中背、顔は長からず、丸からず、普通の形、口は至って小さい、鼻筋は十分に通り高い、目は大きく鈴形・・・」等とあり、忠実に再現されていると思われます。

 1933年、数体のブロンズ像が造られました。その一つを所蔵していた団体より徳川家ゆかりの増上寺へ寄進をされましたが、同じ像があった為当山に寄贈いただきました。​​

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